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障害者グループホームで働くキーパーさん
2006/04
第7回さかい福祉まつり
2006/05
社会福祉法人コスモス、合併・設立10周年
2006/06
介護保険の改悪と自立支援法で
2006/07
教科書資料館に吉岡さんを訪ねて
2006/08
高齢者にトリプルパンチ
2006/09


入居者の世話に活躍
障害者グループホームで働くキーパーさん
 コスモスの障害者グループホームはこの3月末で13ユニットになりました。現在入居者は58人(内男性36人、女性22人)になり、この入居者を世話するキーパーは20名を超えています。このキーパーの仕事は、平日には昼の4時に出勤して翌日の10時に明けるというシフトで、各ホームに2人のキーパーが原則、隔日交代で勤務しています。このキーパーの仕事ぶり、活躍ぶりをこの2月に開所した「春の風1・春の風2」からリポートします。(取材・藤本)

入浴介助は緊張の連続
 キーパーの業務は午後4時、入居者が作業所からグループホームに帰ってくるところから始まります。まずは入浴。今はホームヘルパーにも来てもらっています。入浴介助と言っても入浴への促しから始まります。その日の気分によって入るのを拒否する人も、そんな時にはその人が興味が沸くように誘導したり、また入浴時にも安全確保には充分に注意するなど狭い空間なので緊張の連続です。水やシャンプー等のこだわりの対応も求められます。
 また、トイレの介助についてもタイミングをみてスムーズに声掛け援助が必要です。入浴もトイレもとてもプライベートなことなるので、入居者と信頼関係をつくりながら色んなサイン(言葉では現われない表情や声の大きさ目線など)に注目していかなければなりません。

入居者も手伝うように
 掃除や洗濯などは可能な限り入居者もいっしょに行なうようにしています。でも、なかなかいっしょにすることは難しい状況ですが「できたね」「ありがとう」の関係づくりから今は始めていて、いろいろな作業を共にする中で入居者の姿を探っていけたらいいのでは??と感じます。
 さて、次は肝心な食事です。基本的に春の風は平日は隣のほくぶ作業所からの配食サービスを利用しています。夕方食事が運ばれてくると身を乗り出して嬉しそうに食事の時間を待っておられます。栄養バランスの考えられた食事は安心して毎日食事の時間を楽しんでいます。最近ではお米洗いを入居者が担ってくれていたり、食事の準備や片付けにも積極的に参加してくれています。休日はキーパーが調理します。買い物をいっしょにしてゆったりと過ごしたり、目の前で調理すると匂いやできあがる過程が見えて期待も膨らみます。偏食などに対応するため、形や調理方法をかえて食べる楽しみを提供するのも大切な仕事です。

夜間も発作の見守りを
 また、何よりも入浴、着替え、食事など自分で出来ない障害の重い人の生活を安定させるために「春の風」では「どんな職員が援助に関わっても入居者の生活リズムがかわることのないように」と援助全般が統一できるようにヘルパーさんたちとも援助のポイントについて積極的に意見交換しながら常に入居者の生活の安定を図っています。先に述べたように直接的な細かな援助とまた、精神的に安定できるように常に安全確保は求められています。就寝支援や夜間も発作の見守りや入居者の声の変化などに常にいくつもの状況にアンテナを張っているような状況です。

働きがいは大切な課題
 入居者によりよい福祉サービスを保証していくためにも、この仕事に従事していく人たちの働きがいや労働条件も大切な要素です。国が「施設から地域への移行」という政策を掲げながら、グループホームを安上がりなものと位置づけ、運営法人への報酬単価を低く抑えています。単価を引き上げない限り、キーパーの働きがいや労働条件の向上は望めないでしょう。真に地域福祉を充実させるなら、このことは避けて通れない大切な課題だといえます。

キーパーさんにインタビュー
Q・キーパーの社会的意義を感じていますか
Aさん(女性55歳)=ホームは少人数の家族のような集団なので、父親的、母親的な存在となっていると思います。
Bさん(男性29歳)=入居者とのふれあいの中でキーパーの存在は大事だと感じます。
Q・仕事でつらいと思ったことは
Aさん=入居者のことを理解するのに時間がかかることです。一人ひとりが今表現してくることがその人の育ちやその日あったことなどとどうつながっているのかなどメンタルな面での支援が難しく感じます。ご家族のお話もじっくり聞きたいが、なかなか時間が取れないことです。
Bさん=入居者の方から色々な相談を受けるが、なかなか十分に答えていけないことがつらいです。
Q・泊まりの多いグループホームの勤務を家族は理解してくれていますか
Aさん=家に帰ったら休めるように子どもなども含めて家のことを協力してくれています。
Bさん=特に家族に反対などはなく。理解してくれていると思います。
Q・入居者とのつながりでよかったことは
Aさん=小さいことでも利用者の方が何かできるようになったりする変化が見つけられるととても嬉しい。喜んで食事を取ってくれると嬉しい。1年ぐらいをかけて入居者との関係ができてきて気持ちを出してくれるようになってきました。
Bさん=入居者といっしょに何かを共感できた時。入居者の成長を感じられたとき。



第7回さかい福祉まつり
 堺市全域を対象にした市民の手作りのまつりとして定着した「さかい福祉まつり」は、今回で7回目を迎えます。「勝ち組・負け組」とか「格差社会」などという言葉が流行し、一方で幼い命が無惨にも失われています。こんな時にこそ、生命の重みをかみしめ大切にしたいものです。堺は4月から政令指定都市になりましたが、政令指定都市だからこそ住民の福祉が尊重され、市民の生命財産が守られるようにしたいとの気持ちを込めて「感じよう 生命の重み このまち堺に」が今年のシンボルテーマになりました。福祉まつりで有意義な一日をご家族で、あるいは友人と、すてきなパートナーとともにお過ごし下さいますようお願いします。

ステージ
 まず、ステージは11団体の皆さんが出演します。高齢、児童、障害など福祉まつりにふさわしい皆さんです。なかでも、大阪市内からは盲ろう和太鼓サークル「すまいる」の皆さんが出演、2重障害を乗り越えて見事な和太鼓を演奏してくださいます。他にも5分の出演時間の「1曲出演」にも数団体が挑戦します。また、トリはさわむらしげはる率いる「にこにこ楽団」で、身の回りにあるものなら何でも楽器にしてしまうとてもユニークな演奏を披露していただきます。

展示体験コーナー
 まつりのメインとなる展示体験コーナーは、レザークラフトづくりやせんべい焼きなど障害者作業所の仕事体験、キャップハンディ体験、ミニ手話教室、名刺印刷(これも作業所の仕事の一つ)とその名刺に点字を打ち込むミニ点字教室、血液サラサラなどを検査する健康チェックなど目白押しです。展示も政令市になった堺市を市民の目から採点するシール投票、各ボランティア団体、就業支援活動、福祉関連学校の紹介、介護保険相談などの幅広い分野から登場していただきます。

愛と平和の広場
 昨年から始まった愛と平和の広場は、ユニセフ活動紹介、メッセージパネル制作、平和の願いを絵にした缶バッチづくり、ビデオ上映(アニメなど)、堺空襲の写真展示、劣化ウラン弾の実態を映したスライド、世界を船で訪問するピースボートの紹介などを予定しています。

あそびコーナー
 ほかにも、乳幼児を対象にしたあそびコーナーでは高齢の魚釣り、パッチンジャンパー、大型紙芝居、缶ぽっくりや赤ちゃんの落書きコーナーもあります。

なつかしコーナー
 高齢者が子どもに手作りの楽しさを伝える遊びの場はシルバーアドバイザーの団体が担っていただきます。生活の場では、戦前の教科書をパネルにして展示します。食事の場ではいろいろな材料を使ったポン菓子、昔の街角の駄菓子屋の再現、懐かしい飲み物の販売などが計画されています。
  *   *   *
 また、模擬店(40店ほど)やフリーマーケット(20店)での買い物も楽しむことができます。初夏の1日を福祉まつりでお楽しみ下さい。
さわむらしげはるとにこにこ楽団 ポスター



社会福祉法人コスモス合併・設立10周年に
大きく前進した事業と運動
 社会福祉法人コスモスの主な沿革
(1996年〜2006年)

・いづみ保育園(社会福祉法人いづみ福祉会)
・麦の子保育園 (社会福祉法人麦の子福祉会)
・せんぼく障害者作業所(社会福祉法人せんぼく福祉会)
・おおはま障害者作業所(社会福祉法人堺西部福祉会)
・堺東部障害者作業所(社会福祉法人堺東部福祉会)
・ほくぶ障害者作業所(社会福祉法人堺北部福祉会)
1996年6月 上記6法人が合併し、社会福祉法人コスモスが設立される
1997年8月 ふれあいの里かたくら デイセンターかたくら 開所
1999年12月 コスモスのよびかけで、第1回さかい福祉まつりが開催される(以後7回まで開催)
2000年4月 老人デイサービスセンター結いの里開所
2000年12月 「春いちばんのコンサート」開催される(総合生活支援センターえると建設運動の一環として取り組む)
2001年12月 コスモス大バザール開催(以後市内4地域に分けて毎年開催)
2002年4月 総合生活支援センターえると開所 ショートステイえると、ヘルパーステーションえるとが事業開始
2003年4月 無認可作業所(のあのあ鳳、のあのあ日置荘、クラフト風、つばさ共同作業所、第二つばさ共同作業所、喫茶まごころ家)を小規模通所授産施設として傘下に
2005年7月 麦の子保育園増改築完成
2006年4月 のあのあ鳳、のあのあ日置荘と無認可作業所・夢のかごを本体施設に吸収
*上の催しの中には後援会関連や実行委員会主催の行事も含みます。
 
1996年6月、当時の2つの保育園と4つの障害者作業所が合併して「社会福祉法人コスモス」となって、ちょうど10周年となります。この間、私たちコスモスは、多くの市民の皆さんや行政関係者、そして利用者の方々に支えられ、大きく発展してきました。この10年間の主な出来事を関係者の方々の手記で、振り返ってみます。(編集部)

ふれあいの里かたくら開所
秋祭りでの出来事
 多くの人々の支援、そして出会いのなか、1997年8月1日「ふれあいの里かたくら」はオープン。上の写真は、その年の秋祭り、地元青年団による地車宮入でのパフォーマンスです。その時、神社を埋めつくしていた参拝者は、大きな驚きと感動に包まれた瞬間です。
 まだまだ障害がある人たちの暮らしや生活はたいへん厳しいものがあります。でも、当施設の開設にあたって、この写真のようにたくさんの人々から励まされ支援していただいたこと、今でも勇気づけられています。
 これからも地域に根ざしながら、障害がある人の働く場、学ぶ場、人と人のふれあいの場として大きく発展されることを心から願っています。
(ふれあいの里かたくら 元施設長 八田忠敬)

片蔵地区の秋祭で
  
老人デイサービスセンター結いの里
開所当初をふりかえって
 介護保険の施行の2000年4月、開所したばかりの結いの里は嵐のような毎日でした。在宅介護支援センター(ケアマネジャー)依頼は当初の予想よりはるかに多い相談数があり、未整備な契約書や記録類の書式を準備しながら、パソコン導入もなく手書きで利用票書類作成や手計算で対応と連日深夜まで仕事が続いていました。
 人はあまり過酷な出来事は覚えていないという脳の自己防衛反応があるとのことですが、開所3ヶ月間、どのように毎日を過ごしたかの詳細な記憶が残っていません。
 結いの里もこの6年で地域の信頼も厚く期待される事業所として成長することができました。めまぐるしく変化する情勢の中で大変な状況は続きますが、人間的に素敵な職員集団といっしょに、開所当時の気持ちを忘れず高齢者のために取り組んでいきたいと思います。
(結いの里 在宅介護支援センター・居宅介護事業所長井佐智子)

シニアの皆さんの演奏(開所記念パーティで)

b  
総合生活支援センターえるとの開所
ショートはわが家のパートナー
 「えると」開設よりショートステイで娘がお世話になっています。また幼かった娘を「えると」に預けだした頃のことは、今でも忘れられません。大人の利用者さんでいっぱいの中に7歳の娘を預け、仕事に行く車の中「これでいいのか?」自問自答を繰り返す日々でした。
 そんな中、利用者の方から「真弥ちゃん、かわいいね」と声をかけていただきうれしかったことも忘れられません。職員の方々の笑顔やジョークを交えた何気ない会話に心和まされ、いつの間にか4年がすぎました。小さかった娘も11歳になり、いつの間にか我が家のようにリラックスして「えると」で過ごしています。
 「えると」は施設も素敵ですが、職員さんの心があったかいのが親には一番です。我が家にとって生活のパートナーともいえる「えると」がこれからも地域に根ざした、私たちの支えとなる施設であり続けることをこころより願っています。(デイサービス利用者の母 佐藤 泉)
  
さかい福祉まつり
ボランティアさんに支えられ
 「咲かせよう 笑顔いっぱい この街に」と、みんながこの街で暮らしてよかったと思える街づくりをめざして大仙公園で「さかい福祉まつり」が始まったのは1999年12月でした。2ヶ月あまりの準備期間しかありませんでしたが、昼に、夜にそれこそ毎週のように会議を開いてようやく開催にこぎつけました。小雨が時折ふる中のまつりでしたが、成功させた自信と充実感は何ものにも代え難いものがありました。
 このまつりは数多くのボランティアさんに支えられて運営してきました。「また、今年も来たで」と、常連のボランティアさんもおり、この方々によってまつりの歴史は積み重ねられているのです。ある学生ボランティアさんは帰り際には「来年も来ます」と卒業してからも顔を見せてくれます。
 まつりを通じて数多くの人と人の出会いが生まれるのもこのまつりの素晴らしさです。このまつりをきっかけに人の輪が広がることを願っています。(土井桂子 元まつり事務局員)

和太鼓サークル「拓(ひらく)」

    
合唱組曲「春いちばんの風」コンサート
会場の熱気が私の背中に
 合唱組曲「春いちばんの風」は、佐伯洋さんの9章からなる詩に、林学さんが4曲、豊田光雄さんが5曲を担当され、2人の作曲家の個性がうまく溶け合いスケールの豊かな作品として出来上がりました。
 それだけに、それぞれの曲の持ち味をしっかり歌いあげること、特に人間の強さや暖かさをどれだけ音楽として表現できるかが大きな課題でしたが、これに見事に応えて下さったのがお母さんたちの歌声で、最後まで練習と音楽づくりを引っ張って下さいました。
 「えると」建設に皆さんの強い思いが込められ、21世紀を目前にした12月という時代の変わり目での上演でしたから、練習にも自然と力が入りましたし、また当日の会場の熱気が私の背中いっぱいに伝わって来たのを鮮やかに思い出します。(指揮者 西恒人)

合唱に練習が毎週のように続いた

 
コスモス大バザール
苦労が喜びに変わった
 えると建設資金のための「コスモス大バサール」を大泉小学校をお借りして開催したのは、えるとの工事中の2001年12月でした。2日間の開催というこれまで経験したことのない取り組みだっただけに不安と戸惑いで一杯でした。
 しかし、施設ごとに担当者を決め、随時会議を重ねるごとに盛り上がっていきました。体育館でのバザー、校庭での野菜果物の販売とお楽しみ抽選会、教室での手作り品や絵画の販売と喫茶コーナー。2日間の準備はできたもののお客さんが来てくれるか心配でしたが、2日ともお客の途切れることはありませんでした。バザー当日は施設職員、家族、仲間も気持を一つに頑張り、ボランティアさんにも助けられました。それまでの苦労が喜びに変わりました。(木村千代子コスモス家族連絡会会長)


大バザールで賑わう体育館
 
麦の子保育園増築
実現した就学前まで
 先生方と保護者とで何度も会議をし、資金集めのバザーもして、雨や暑さ対策が出来るまで成長?したなあと感じます。今では子どもは家でバザーごっこをして遊んだりします。
 昨年は引越し等で慌しい一年でしたが、子ども達は年上のクラスに憧れたり、年下のクラスの面倒を見るということが自然とできるようになりました。
私たちにとって麦の子は大きなお家です。兄弟のいない娘にとって、かけがえのない時間を過ごせることに感謝し、よりよい麦の子になるお手伝いをしたいです。(大好きな麦の子の保護者)



介護保険法の改悪と自立支援法の施行
負担増で利用の抑制が
 国の社会保障・社会福祉の重要な柱でもある「介護保険法」の改定と「障害者自立支援法」が実施された4月、多くの問題を抱えたままのスタートとなりました。特に障害福祉に初めて応益負担制度が導入され、その影響は利用者だけにとどまらず、事業者やその職場で働く職員にも及んでいます。その一端をコスモスの事業所から報告します。この問題は9月号でも引き続いて取り上げる予定です。(2面も掲載)

ショートとヘルパーを天秤に
えると家族介護の悪循環をうむ結果に 
 居宅サービスの事業所である地域福祉活動センター「えると」の4〜5月の実績を見ると、今回の自立支援法の影響が早くも出てきています。
ショートステイでは多くの方が、1泊ごとに今までの3倍から4倍に負担が膨れ上がっています。またグループホームでも、1番負担の多い人で約1万3千円の負担増になっています。
 ある在宅の人は、ショートステイとヘルパーの利用を天秤にかけて、負担を増やさないためにと考えた末にショートステイを選択し、ヘルパーは利用を控えるという結果になりました。このように本当は必要なサービスであるにもかかわらず、利用を断念せざるをえないことになり、そのことが家族の介護負担という悪循環を生む結果になっていくことが予想されます。
運営面では、グループホームが日割り計算になったことで、大きな減収につながっています。4〜5月の利用率が72〜74%なので、3月に比べて単純に7割強の収入にしかならないということです。ショートステイでも単価の引き下げが行なわれているので経費は同じなのに収入は減っています。先ほどの負担増からくる利用控えを合わせると、各事業所が運営面でも厳しい状況にあります。(えると・札場)

生活リズムが乱れる例も
とうぶ 年金の半分や3分の1も負担!
 作業所に通う多くの人たちは30歳を過ぎ、家族の年齢も60歳70歳で年金生活である場合が多くなっています。今まで、利用料、給食費は一切払わなくても必要な支援を受けることができていましたたが、この4月から減免を受けたとしても 作業所に毎日通うのに 1ヶ月に必要な費用負担(給食費、1割負担)は2万から3万円増。少ない年金収入の半分もしくは3分の1を占める負担となりました。
 3年前に支援費制度となりやっと家族以外の第三者に支援を受けながら、地域での生活を充実させることができ始めていたが、この4月からは利用すればするほど、支払いが増えるので作業所が休みの日曜日には楽しみにしていた「ガイドヘルパーさんと土、日外出するのをやめた」「ショートステイを利用するのをやめた」という人たちは多くなっています。また、3月までは毎日、作業所に通っていた人が4月以降、数日しか来ていないという人もでてきました。
 障害を持つ人たちは、在宅を望んでいるわけではないにもかかわらず、そうせざる得ない状態になって、生活リズムが乱れ、昼夜逆転の生活になったり、ストレスを発散できず、パニックや、暴力になったりしているケースも出始めています。
 「ひとりぼっちの障害者をなくそう」と家族関係者の共同の運動によって作り上げ・守り発展させてきた作業所に、「通いたい」と願う障害者が通えるよう今こそ、運動が求められています。(とうぶ・川本)

施行後に事の重要さを痛感
ほくぶ 生活困窮世帯からの相談が増加
 自立支援法が始まって約三ヶ月。利用者家族からの相談も刻々と変化をしてきました。4月を迎えるまでに繰り返し制度や自己負担の仕組みを説明してきたつもりでした。
 しかし、いざ法律が施行され新たな利用契約を交わし自己負担額を具体的に提示されて初めて事の深刻さを痛感し、社会福祉法人減免制度や世帯分離について動き始めた方が多かったようです。 中には5月10日過ぎに発行された4月の利用料請求書(支援費の1割負担分、食費、送迎費等)を見て、あわてて区役所に減免申請に行かれた方もいたようです。 3、4月は社会福祉法人減免制度の仕組みや世帯分離についての相談が多かったのが4、5月は居宅サービスと併用した場合の上限額管理や上限額の意味合いについての相談がいっきに増えました。堺市独自の「居宅サービス負担額管理表」の取り扱い方を利用者も事業所側ヘルパーさんも熟知しておらず月末のたびに混乱が起きています。
 自己負担が課せられることによる生活困窮世帯からの相談も増えてきています。社会福祉法人減免制度は活用した上で厳しい生活実態が見られる利用者には積極的に生活保護申請をすすめています。結果、生活保護申請は受理されないまでも負担上限額は「0円」に引き下げることができています。 (ほくぶ・堤)

■介護保険では
要支援2で福祉用具は適用外
年金や貯金でベットを自費購入

 妻とふたり暮らしのAさんは日課であった散歩中に転倒し大腿骨を骨折し入院、その後在宅に復帰をし、毎日近所の病院でのリハビリにはげみ、杖で歩行できるまでに回復しました。しかし転倒時に頭部も打ったことが原因で排泄の感覚に障害があるためトイレまで移動が間に合わないということが起こってきました。
 そのため介護保険を利用して起居動作をしやすいベッドをレンタルすることにしました。当時の介護認定は要支援であったがこの4月の改正の後、要支援2と認定になったのです。新しい介護保険法では要支援などの介護度の軽い高齢者に対しては「自立を妨げる」として福祉用具の貸与を認めていない場合があります。Aさんの場合も介護保険を利用してベッドをレンタルできなくなってしまいました。
 Aさんのように介護用のベッドを使用しているからといって自立を妨げているのではなく、ベッドがあるから離床ができて自力で自宅のトイレにも行けて在宅生活を続けられるというケースはたくさんあります。Aさんは布団からの立ち上がりは妻の介助が必要なこともあり、トイレに間に合わないため、自費でベッドを購入することにしました。少ない年金や貯金の切り崩しで生活をしているような経済的に厳しい高齢者にとってこの改正が大きな打撃となっている一例です。

介護保険事業所は 努力していたのに報われない制度
 今回の介護保険の改正は通所系などの報酬単価の引き下げや予防プランなどをはじめとする「効果」を重視したサービスの導入など利用者と事業所双方に大きく変化をもたらすものとなりました。改正を目前に控えた3月になっても国や自治体、マスコミも含めてこの改正について具体的な情報が発信されず現場は大変な混乱をきたしました。
 一定の情報が示された4月以降も法律についてさまざまな解釈が飛び交い、制度を利用する高齢者にとっては「変わる、変わると言っても何が変わったのか分からない」といった状態で、安心してサービスを使っていただくために現場の職員が説明に飛び回る毎日でした。
 今回の改正ではケアマネジャーが関連する施設への囲い込みを防ぐ目的で新たに「特定事業所集中減算」という基準があります。ケアマネジャーの立てるプラン全ての中で特定の事業所を利用する割合が90%を超えると減算となります。この基準のためにケアマネジャーが良質なサービスを提供していると考える事業所を紹介することを躊躇したり、利用者自身が利用したい事業所を選択できにくいといった状況がうまれてきています。地域に根ざして安心して住みなれた街で生活できるような施設を目指して努力してきた事業所が報われない。改正介護保険法はそんな制度なのです。

独自減免を求め人間の鎖
障害者・関係者ら800人が市役所を包囲!
市内の障害者施設・団体を網羅した初めての取り組み
 堺市内の認可施設、小規模施設など障害者関連施設の7割以上と他の障害者関係団体など合計113団体が賛同団体として名を連ねた「6・21障害者自立支援法を考える市民の集い」が炎天下のなか堺市役所を包囲する人間の鎖を中心に取り組まれ、800人の人々が参加しました。
 この集いは、堺障害児(者)施設部会、堺障害者作業所所長連絡会、堺障害・難病当事者関係者連絡会などが呼びかけて開催されたもので、4月の障害者自立支援法施行で福祉サービス利用が有料になって、利用抑制が起こったり、事業所などは報酬単価の引き下げなどの影響をもろに受けて20%もの減収になろうとしている厳しい状況を何とか打破したいとの思いから企画されたもの。
 堺の障害者団体を網羅したこのような催しは初めてで、施設によっては集会参加は初めてというところも多く、それだけ幅広く結集した催しとなりました。人間の鎖の他、リレートーク、市長宛の要望書提出、市議会健康福祉委員会の傍聴など多彩な取り組みが展開されました。
横断幕を掲げる人々 炎天下で1時間の行動でした



平和のために伝えたい
教科書が戦争の道具になったこと
■教科書資料館に吉岡さんを訪ねて
 やさしく子どもに向けられた目と熱情に満ちた32年間の教師生活の後、自費で「平和人権子どもセンター・教科書資料館」を設立された吉岡数子さんをお訪ねして、そのおいたちや少国民の体験から教科書が国民の意識を統制し、戦争へ貢献した事実をうかがいました。吉岡さんの誰にでも温かく穏やかな人柄と、間違ったことにはきっぱりと鋭い視点を持ち、一途に地道にこつこつと実行されるエネルギーと生きかたに圧倒され触発されました。(聞き手 林、彦坂)

戦争の中で生まれて育った墨塗りの世代
 1932年日本の植民地だった朝鮮で生まれ、朝鮮総督府の役人だった父の転勤で満州(中国東北部)で12才まで過ごしました。敗戦前の44年父の事故死で帰国し、小豆島の国民学校(戦争の41年から敗戦までの小学校)でも世界の頂点に日本が君臨するという教育をたたきこまれ、教科書を丸暗記しました。
 敗戦後、神国日本、大東亜共栄圏(アジアの共存共栄を唱え、中国侵略を正当化)、皇国史観(万世一系の天皇を中心に治めてきたという歴史観)を教えこまれた6年の教科書を、「間違った所を消す」という担任教師の指示通りに教科書の墨塗りをしました。「国史」などのいくつかの教科書は、ほとんど真っ黒になったのです。
 それは、自分自身を否定され、東洋平和のための戦争で、神の国日本は絶対負けないと教えた教師も信じられず人間不信におちいりましたが、朝鮮や満州で子どもの目から見ても日本人が贅沢をしたり、えらそうにしていた姿はやはりおかしい、間違っていたのだと思いました。そして、墨塗りは、実は文部省の指示でGHQ(連合国軍総司令部)が来る前に保身のために消したのであって、GHQの命令ではなかったと知ったのはずっと後、教科書研究をし始めてからです。

希望を与えてくれた満州の学校の先生ら
 桜が咲かない満州だから「サイタ読本」(国定教科書)を使わず、「満州補充読本」を作ったメンバーの1年生の時の山下先生はこの本を軸に総合学習を展開していました。色チョークで自然の様子を魔法のようにいきいきと描いたり、夏休みの思い出の詩にメロディをつけてみんなで歌ったり、男女混合・自由隊形で記念撮影するなど、反戦の思いをもっておられたことがわかりました。現在も小学校の記念撮影は男女別・背の順にきちんと並んでという学校が多いことを考えると教育理念の素晴らしさに感動させられました。そして、山下先生のような楽しい授業のできる、二度と墨塗りをさせない教師になりたいという思いを強くしました。

歴代天皇を丸暗記し間違えたら非国民!
 41年アジア・太平洋戦争が始まり、小学校が国民学校に変わった時に、朝礼で「沖縄は日本の長男で、台湾は次男、朝鮮は三男です。満州は四男になるように今がんばっているのです。日本がアジアを一つにするために、あなたたち在満少国民はしっかりしなくてはいけません」と言われ続けました。歴代天皇の名前の丸暗記で読み間違えたり、模写した絵が少し違っていたり、風邪で学校を休んでも非国民と言われました。
 学童疎開も障害者、身体の弱い子などは疎開から外されました。強い兵隊になれる少国民だけが安全な場所に疎開できたのです。51年サンフランシスコ講和条約後、日の丸、君が代、万国旗も教育現場にもどってきました。また、戦中の軍事教練の名残として、運動会の紅白(日の丸の紅白)、入場行進(背の高い人から4列縦隊で行進)、大玉ころがし(皆で力を合わせて爆弾を作る)、万国旗(40年満州では世界の頂点として全ての万国旗の上に日の丸が高々と掲揚されていた)があります。

幻の教科書「民主主義」
 46年11月新憲法公布、47年教育基本法制定に伴い、墨塗りを指示した文部省が、戦中、異議を唱えて弾圧された学者も加わり、民主主義にふさわしい教科書「民主主義上・下(教育の国家的統制の危険性が指摘されていた)」「くにのあゆみ」「日本歴史」「まことさん・はなこさん」「いなかの一日」などを発行しましたが、実際はほとんど使用されず、学ぶはずの多くの人はその存在すら知りませんでした。
 また、文部省が編纂した「新しい憲法のはなし」も使っていません。そして、墨塗りの後も戦後3年間、戦時中の女学校修学の栞を使い続けており、高校でも民主主義、日本の侵略・植民地支配の史実は教えられませんでした。

平和のため調査研究へ新たな活動を始めます
 教員として憲法9条につながる平和と人権への思いを刻んだ教育実践を32年間大阪市、堺市で続けてきました。その後も堺市平和と人権資料室(後の「堺市立平和と人権資料館」の前身)に勤務し、日本の行った戦争の侵略と加害について中国や韓国へ出向いて調査し、その裏付けを元に特別展示を行いました。
 97年には私設「平和人権子どもセンター」を設立、翌年に「教科書資料館」を併設しました。家永教科書訴訟支援大阪地区連から4200冊の教科書を寄託され、アジアで集めた教科書200冊も合わせ、現在6300冊の教科書の展示と貸出用資料パネル50セットを所有、見学者は2万人を越えました。また、来館者の中には、歴史学者が資料閲覧のために東京などからも訪ねてきたり、アメリカからは学生が日本の教科書研究に訪問してきました。
 今、教育基本法を変え、愛国心教育を進めようと「心のノート」が配布され(2面参照)、一方で先の日本の侵略戦争を肯定する「つくる会」教科書が検定を通っている状況の中で、歴史教科書などの内容は後退しています。このした中で、当センターは来年から「教科書総合研究所」として衣替えし、調査研究をしていくことになります。
 
教科書資料館での吉岡さん 軍国教育の元になった修身教科書



■高齢者にトリプルパンチ
税金・保険料・医療に改悪の嵐
庶民には負担増、大企業には恩恵が
2006年8月
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市役所の窓口に大勢の高齢者が抗議に殺到
 今年の6月には市民税の窓口に、7月には地域福祉課の窓口に大勢の高齢者が抗議に押しかけ、大きな混雑になったことがテレビや新聞などでも大きく報道されました。こんな事態になったのは、住民税の大幅な増税と、介護保険料の引き上げが行われ、その通知が送付されたためです。そしてこれから高齢者を対象とするの医療保険も大きく改悪されていくため、トリプルパンチにもなってしまうのです。もし、負担増があっても高齢者福祉が北欧のように充実し、老後の不安のない社会に向かっているのなら納得も出来ますが、今、日本ではそれとは反対に高齢者の負担のみがのしかかっています。これらの高齢者負担増の問題を考えてみましょう。

 左の表から高齢者の負担増を見てみると、Tさんの場合で10万円、27%の負担増ですし、モデルケールとしてあげた例でも6万円強と24%のアップとなります。高齢者の懐から多額の金額が失われてしまうことが一目瞭然です。

増税は高齢者に直撃
 まずは住民税からみてみましょう。左の2つの表と下の図を見てもわかるように、大幅な地方税法の改定が国会で04年と05年に行われ、今年になって大幅な増税が行われました。とくに高齢者に大きな負担となっています。
 その内容は、?老年者(65歳以上の方)の公的年金控除の算出方法が悪くなりました。20万円以上控除額が下げられたのです。?老年者の所得125万円以下の非課税扱いが廃止されたため、実質非課税扱いになる人は35万円以下になります。?老年者控除48万円が廃止されました。これらの3つの高齢者に配慮した制度の改悪が大きく響いています。そのほか、老年者だけではありませんが、?定率減税が15%から7.5%に引き下げられ、?扶養配偶者の均等割が2分の1から全額になりました。このため年金収入276万円のモデルケースの場合、税金はなんと一気に8倍強となってしまいました。Tさんも約3倍です。

保険料にも連動
 問題は、税金だけではありません。この住民税の増税が公的保険料にも連動します。とりわけ、堺市の介護保険料はこの4月から37%のアップになると同時に、増税のためランクが上がって余計に負担が増えてしまった人が続出しました。Tさんの場合はこの例で、65%ものアップです。介護保険料だけでなく国民健康保険料にも跳ね返っています。算定方法が変わったことでモデルケースの場合は減っていますが、それでもTさんのように増えている人が多いもの事実です。

3年連続で負担増も
 今年の税金や保険料では本来の額より少ないケースもありますが、これは激変緩和といって1年目と2年目にアップ率をゆるめ、3年目に本来の額にする経過措置です。しかし支払う側からいえば、3年間連続して負担増が続くことになるのです。
 また、高齢者だけではないですが、99年に導入された「定率減税」は景気浮揚対策として導入されたのですが、景気が上向いているとの口実で来年には廃止されます。しかし、同時期に減税された法人税はそのままで、不公平といわなければなりません。景気が良くなったと実感できない庶民には増税し、空前の利益を上げている大企業は減税の恩恵をつづけているのです。(編集部 谷川)

医療改革で高齢者医療のきりすて
 1980年代から進めてきた高齢者医療のきりすて。団塊の世代が高齢期を迎える時期に導入されようとしているのが、08年4月から実施が予定されている高齢者医療制度です。
 現在高齢者は、国民健康保険に入るか健康保険の扶養家族になっています。75歳以上の高齢者はこれらの保険から切り離して、「高齢者医療制度」という新しい保険にまとめてしまおうとしています。高齢者一人あたり平均して年間7万4千円の保険料が徴収されます。
 この制度が実施されると、健康保険の扶養家族に入っている250万人もの高齢者からも、保険料が徴収されます。無料だった保険料が年間7万4千円の支払を強要されるのです。
 さらに、「高齢者の医療費は高齢者医療制度で」ということになれば、高齢者の医療費が増えれば増えるほど、高齢者一人あたりの保険料は増えます。「保険料を上げたくなければ、医療にかかるな」とは、まさに「うばすて山」の思想です。
 この思想のさきがけともいうべき内容が、ことし10月から導入される「現役なみ所得」の70歳以上の窓口負担を3割に引き上げることです。疾病を多く抱えることが一般的な高齢者に「現役なみ」といって負担金額を増加することは許せません。堺市は、8月に70歳以上で課税標準額が145万円以上の世帯に3割負担になる保険証を送っています。しかし、この方のうちで本人収入383万円未満、あるいは、世帯収入が520万円未満の方は、申請すれば1割負担となります。ぜひお確かめください。
 基本的人権をうたう民主主義国家日本ならば、大企業優遇や軍事費ではなく、長年社会を支えてきた高齢者の医療を支えるために税金を少しまわすことは、あたりまえと、こころある人なら誰もが思うことでしょう。
 高齢者医療制度が実施されるまでにはまだ時間があります。ぜひ、今年4月の電気用品安全法(PSE法)のように、「実施させない」運動をまきおこす必要があります。
(コスモス理事 越智)